行ってきました。鴻ノ峯。

鴻理会の名称の由来である、鴻ノ峯。標高338m。
山口大学創立の昭和24年、文理学部が置かれた糸米校舎は、現在の山口高校の辺りにありました。

山口高校から北の方角を見ると、中腹にテレビとラジオの中継局が設置されている、小山があります。
これが、「鴻ノ峯」です。

南側から見上げました。標高338mにしては割と大きく見えます。



右手、山の中腹の突出た所に、中継アンテナが写っています

山口高校グラウンド横までさがって、山の連なりを見ると、

正面が鴻ノ峯です。向かって左、西側に位置する兄弟山(おとどいやま)に比べると、さらに大きく感じます。

鴻ノ峯の麓には、東に山口大神宮、西に木戸神社があり、それぞれ鴻ノ峯への徒歩登山道があります。
木戸神社側の車両が入れる道で、鴻ノ峯に近付いていきます。



地図は、上が真北です
この地図には登山道は描かれていません

木戸神社付近は、道幅が狭く、ルートが間違っているのではないかと疑ってしまう程のうねり道です。
木戸神社を西からぐるっと周るように進みます。

糸米川に沿った細い道を上り続けると、途中から突然、道幅が広くなります。
立派な道路が現れ、道を暗くしていた路傍の木々は後退し、沿道の草木は刈り込まれています。明るい!



写真の公園案内図は、右側が北になっています
梅里、もみじ園、水辺観察園など、整備された遊歩道があります

道路沿いのあちこちが公園として整備されています。

900mほど進むと、砂防公園に到着します。ここから先は、急激に道が狭くなるため、ここの駐車場に車を止めます。



写真は、駐車場とお手洗いです。
砂防公園は、向かって右側に広がっています。山の斜面が整えられ、桜などが植えられた、お花見広場です。
写真を撮り損ねました・・・。

この先、道路は分岐し、左右それぞれ狭い道になります。 右は、「鴻ノ峯創造の森」方面、左は、「おとどいやま森林公園」方面です。
ここを右に曲がり、ゆるやかな坂道を歩いて、「匠の森」を目指します。



15分ほど歩くと、係の方がいて下さって、山の斜面を登るように案内されました。
「この崖を登るのっっっ!?」って思うほどの急斜面です!!
足元は芝を刈ったようにきれいに整えられていて、椿などの若い木が植林されています。
登りやすいよう丸太を組んだ階段が作られていますが、何せ急斜面!!一段一段が厳しいッ!!
汗だくでヘトヘトになりながら、山小屋や炭焼き小屋などがある、なだらかな広場「匠の森」に到着しました。
この辺りは林業学習施設のようなものでしょうか。
完全に写真を撮り損ねました!それどころではなかった・・・。

実は、本日の目的は「高嶺城跡」の見学です。登山します。

9:00 「匠の森」で、登山行程や注意事項を聞いて、準備。

森林組合の方々が、”ホテイチク”を切って下さっていました
この竹を自分サイズに長さをカットし、ステッキを作りました
このステッキが後ほどとても役に立ちます

9:20頃 マイステッキを持って出発。
「匠の森」の東斜面の植林の中に小道が整備されています。
この登山道を通って「高嶺城跡」へ向かいます。



竹の新緑が瑞々しい

原生林ではなく、植林された竹林だそうです

10分ほど歩くと、小道の左わきに急傾斜の登り口がありました。
木の根っこや丸太の階段に足を置き、ステッキに体重をかけながら、3本足で必死に崖をよじ登ります。



登ってきた崖を上から撮影
途中、足元が崩れる箇所もあった難所

9:40 崖を登った上は、山の尾根が平らに慣らされた、曲輪跡でした。とても広いです。



帰りに撮った写真のため、人物の歩く方角が逆になっています



平坦、平坦。
広い、広い。

木陰が涼しい平らな道を、北方向へ歩き、頂上を目指します。

「最頂部郭(砦)跡」の案内板です。

ここから、見上げると10mくらいの小高い所を登ると、もう主郭跡です。

10:00 頂上に到着しました。けっこう広く、平らな場所です。



基準点がありました。
X=−201.447.14m
Y=−64.707.77m
H=337.29m

城跡の説明板と石碑がありました。
高嶺城は、大内義長が、毛利氏の侵攻に備えて1557年に築いた城です。
同年、義長は毛利軍により山口を追われ、未完の城は毛利元就が改修し完成させました。

「高嶺城跡」は、国の史跡に指定されています。




瓦片が落ちています。城の名残です。



木々の隙間から見下ろした山口市内です。
陸上自衛隊方面を見ています。

しばし、城跡を散策し、休憩。

10:10頃 主郭跡から一段低い場所に、井戸の跡があります。

草むらの中で井戸を発見。危ないので、井戸の穴の上には金属の柵が載っています。
そのすぐ後ろにポンプがあります。ポンプを使うと、今でも水が出るのでしょうか。

主郭跡を見上げると、石垣がめぐらされています。

高嶺城見学は終わりました。下山は、往路で登った崖の近道は使わず、曲輪跡を辿るように大きく周った
傾斜のゆるやかな登山道を下りていきます。

10:25頃 小休憩
市内を展望できる休憩所があります。東屋も備えられています。



中央に見える白い建物は、サビエル記念聖堂です。

さらに下山します。放送局の中継局を過ぎると、舗装された道に変わります。




歩道の脇でかなり朽ちた地図を発見。
各地点の呼称がしっかりと書き込まれており、とてもシンプルで、解りやすい地図だと思います。
左上の頂部郭跡から、右下へ向けて下りてきました。

舗装された道路は、下ってゆくと、最終的にはお花見広場の分岐点に出ます。
つまり、中継局までは頑張れば車で行くことができます。駐車場も車が離合できる道幅も十分ではないようですが。

ここからは、その後の行動をダイジェストでご紹介。
わき道を右へ入り、「匠の森」へ戻りました。
森林組合の方が準備して下さった焚き火の上で、ホテイチクのステッキを転がしながらじっくり焙ります。
黒々と焼けて表面に浮かんで泡立った油を布で拭き上げると、『水戸黄門ステッキ』の完成♪
北側の道を下り、森林組合の方々が管理されている梅園で梅拾い。
梅林からお花見広場の駐車場までは、徒歩20分ほどの道のりでした。

この度の鴻ノ峯登山は、市報に掲載されたイベント、”高嶺城ウォーキング”への参加でした。
森林組合の方々にいろいろ準備していただき、森の管理や山や植物についての説明を受けながら登山引率していただきました。

市役所の方、森林組合の方、お世話になりました。

−登山後記−
「こうのみね」の名称ですが、「鴻ノ峯」「鴻ノ峰」「鴻ノ嶺」・・・漢字がいくつか使われています。
同様に、城の名称も、「高嶺城」「鴻ノ(之)峯城」「鴻ノ(之)峰城」「鴻ノ(之)嶺城」とあり、どれも使えるようです。
この「鴻ノ峰創造の森」は、山口市が森林を買い上げ、平成7年から整備が始められました。
宗教団体が森林を買い、放送中継局への道が封鎖されてしまうなどのトラブルを経て、市の所有になったという経緯があるそうです。
今回の登山で印象に残ったのは、森林全体の間伐や植林がしっかり行われていることと、
公園、広場、遊歩道、登山道、山頂ほか、市民が利用できる様々な場所が整えられていること。
人の手が入って山が育てられているおかげで、歴史の中の人々が歩み、かつての校舎から先輩方が仰ぎ見た鴻ノ峯を、
今でも活き活きとした姿で見ることができるのだと感じました。
山口高校付近を通られる際は、鴻ノ峯を思い出して見上げてみて下さい。


−追記−



ある休日、サビエル記念聖堂のふもとにある「サビエルカンパーナ」で昼食をとりました。
パンはバイキングで、お店で焼かれた数十種類から選び放題。当然、欲張って食べ過ぎ。

食後の運動にと、サビエル記念聖堂に上り、更にすぐ横の亀山(66m)にまで足を延ばしました。

すると、山頂公園の鴻ノ峯方向に、案内板がありました。

義長の出自も含めての紹介文です。
えー、と、木が繁っていて、鴻ノ峯はしっかりとは見えませんでした。